昨日の朝お化粧の練習をしていたとき、
「ポーチをなんでこうして使っているんだ?」って疑問に思った。
ポーチは素材が合皮で堅いので重たい道具を入れるのにぴったりだ! と楽しく使っている一方で、そのポーチのポイントとなるであろうローマ字のロゴはマスキングテープで隠していた。
このポーチはわたしが10代の頃に特に関わりを深くしていた某団体の大代表者からもらったものであり、ロゴはその団体の名前であった。
マスキングテープで隠していてもちゃんと目を凝らせば読みとれる。隠しきれてはいない。
たしかに、このポーチは物を入れるのにはぴったりかもしれないけど、果たして今のわたしにはぴったりかな? と思った。
例えるならば、このポーチは元彼からの贈り物で、元彼の名前が入っていて、物はちょうどいいからとマスキングテープで隠して使っていたら? 今の自分をいちばん大切にしてくれている人はどう思うだろうと。
元彼と、元彼の仲間や、一族とはもう関わりたくないし、関わらないと思っていて(比喩)
そこにわたしの居場所はないんだよ。
みど〜りの心地(わたしの心地)は今のわたしが作るんだよ。
かつての関わりを今、全く気にしていないガハハおおらか人間だとしたらロゴマークなんか隠さないでそのまま使うかもしれないな…。
あと、他にもそういった関連の物が残っているかもな…と思ってあまり使わない本棚のゾーンを探して、5冊くらいの本をみつけた。
紙袋に入れてテープで包み、上にごみを載せてごみ袋を縛って、ごみを出しに行った。
(物そのものがなくなると、物そのものがなくなるのでおすすめです。そのまんまやん)
最近、同時に何個もの世界は選べないんだなと思う。
じゃあ、これは選ばないよ というのも立派な羅針盤になるはずだ。
最後に中島みゆきの「心音」の歌詞を引用させていただく。
未来へ
未来へ
未来へ
君だけで行け