みどーりの心地日記

陰極まりて陽に転ずるさ。みどーりの心地を作ろう

だれも私の話を聴いてくれない…そんな気がする。そんな話をここで書くよ話すよ。

題字の通りです。

 

誰もわたしの話を聴いてくれません。そんな気がします。でも、話しかけて、薄すぎる反応を返してくれるのはいつも主に母です。

母一人にばかり話しかけているのに、世界中の誰もなんて言えません。そう思うと、そもそもわたしは誰にも話しかけていないのです。

 

去年(2022年3月)まで通っていた大学生の時は、学生相談室に途切れ途切れの時期はあれど、週に一回、毎回数十分間(30分くらいだったかしら)超真面目に通っていました。

 

学生相談室とは大学内にある部屋で、心理カウンセラーの先生がいて

そこで学生は心理カウンセリングが受けられるというものです。ちゃんとしてそうで、大学一年のわたしはすごいな〜なんて思いましたけど、大学生活の過密さでみんな心をやられるので、今思えば「…マッチポンプですよね?」(一人でも大爆笑)

 

↑そんな話をよく心理カウンセラーの先生に話していました。そんな話を母に話してもなんも反応がないってくらいの反応しかありません。わたしにとっての大発見というか パズルのピースが揃った!みたいなことが日常でたくさん起こって喜んで話したいのに、もうわたしの話を聴いてくれていた心理カウンセラーの〇〇先生のところへ行けません。学生じゃないから。

 

たまに姉とも電話で話したりします。

でも、やっぱりわたしの日常の大発見は「話してもしょうがないこと」みたいに感じます。

 

もう、困っちゃうよね。参っちゃうよね。

参っているよね。

 

わたしには決まった行く場所がないから(例えば職場とか、習い事とか)同僚とか、習い事友達とかいたらよかったのかな?

いや、そうでもないと思います。

 

想像だけど、天気の話とか、今日人多いですねとか、ペットの話とかしかしないんだと思う。

 

わたしの日常の大発見の喜びを分かち合える場所があるといいね!

 

まじで!

 

…とまあ、そんな話をここで書いて、ここで話しました!

 

いつも話を話して、どんな話も聴いてくれた場所がなくなって

心痛いけど

心が痛いからここで文字を打てています。たぶん。

 

いつかわたしの心地がこの世に見つかることを願って、わたしはわたしにできることをやります。涙目。✨

 

 

自分の持っている力(ツール)を自分のために

自分の持っている力(ツール・能力)を自分を楽しませるためだけに使い続けるとどうなるんだろう?

人間には生まれつき持っているツールがいくつかあるらしい。

わたしにもいくつかツールらしいものがある。

例えば、本を読む力、美しい声、歌、書く力(論文の書き方はわからない🎶)、可愛いものに気づくと囲まれている才能、ふつうにロマンチスト、豊かな感受性、絵を描く力…。などなど。

(こうやって並べて書いてみて、世界中に見せてしまうのはまだ自信がなくってひるんでしまうが💦^^;)

 

幼稚園や、小学生、中学校時代には

その才能に自分も周りも期待してソワソワ✨わくわくしていたと思う。

「将来どんな風になるんだろう✨」

しかし、高校生ぐらいの時には希望する大学に入るためにいろいろ自分に制限をかけて、自分のツールなんて取るに足らないものだと思い込んでしまった。封印して、なんにもない風にしていたかもしれない。

 

絵で言えば、ヒグチユウコさんほどすごい人と比べて、そんなすごい絵が描ける人がいるなら自分は描かないで、〇〇大学行って〇〇大学生として立派になろうと思っていた。

 

今思うのは、ヒグチユウコさんと自分を比べるのは、プロフェッショナルの運動選手がいるなら、プロフェッショナルじゃない運動をする人はみんな負けていると考えるのと同じくらいおかしなことかもしれないなということだ。

みんながみんなプロフェッショナルを目指さなくたっていい。プロフェッショナルでなにかをやるっていう人ってめちゃ特殊な人だなと思うし。

 

自分が大人に近づくにつれて封印して行ったツールだけれども、大人になって参加すると思っていた社会も子どものときに思っていた社会と、実際は180°違っていた(比喩ではなく)そんな社会で もてはやされるような称号も欲しくない。要らない。

 

…というわけで

 

わたしはわたしの力(ツール)を

まずはわたし自身を楽しませるためだけに使う。使いづける。そうしたら、めちゃ輝く✨

そんな気がするので

わたしはやってみようと思う。

 

近所のゴミ拾いよりも、自分ちの本棚 

自分の部屋も片づいていないのに

どうして「近所のごみ拾いをしよう」って言うんだい?って急に思えてきた。

 

小学校時代、中学校時代と

地域活動ということで「地域清掃」近所のゴミを拾って歩くっていうデモンストレーションが何度かあった。

 

例えば、ゴミが落ちてる公園からゴミのない公園になったらハッピーかもしれないけど

自分ちだって、読んでない本を出しっぱなしまくりの部屋から、読んでない本は本棚とかにしまってスッキリの部屋にしたら超いいことさ

それは学校では やんなかったね。

 

たまに遊ぶ公園よりもいつもの自分ちのほうがむしろ大事じゃないか?

 

掃除とか、あいさつとか、笑顔とか、運動とか、自分にできることをやるとか、善行…。

 

善行って世の中にいっぱいあるし、善行って気持ちいいな

善行ってすごいなって大人になってから私はよく思うけど

それはほんと自分のため。

 

他人のためなんかじゃないなって。

 

というわけで

近所のゴミ拾いももちろん気が向いたらするけど

自分ちの片づけや掃除も超たいせつな善行じゃんって気づいちゃったのでした。

(最近は使い捨てウエットシートを使って家の床の水拭きをしています 超気持ちいい)

特に働いていないわたしが毎日一体何を楽しんでいるのか紹介その1

この記事は

わたしみたいに 特に働いていない人や

おこづかいが少ないけど 何か楽しみたいなと思っている人に向けて書きます。

自分を楽しくする方法はたくさんあります。

そのため、今回は今回の分「その1」だけ書きます。

 

特に働いていないわたしが

毎日一体何を楽しでいるのか紹介その1

 

スタートです🎶

 

その1、

サブスクリプションサービスの無料トライアルを使って気になっている作品をたくさん観る

 

この前までU-NEXTの無料トライアルサービスを使って楽しんでいました。

 

U-NEXTでは、

演劇女子部ミュージカル『LILIUM-リリウム少女純潔歌劇-』

アニメシリーズ『アルプスの少女ハイジ

アニメ映画『カリオストロの城』や、

映画『めがね』など

ずっと観たかった作品を見ることができて大変満足しました。

 

この世の中には無料トライアルサービスは意外とあるので

いつか使ってみようかなと思っているものがあって

時間があるなら今使ってみると役に立つ‼︎ と思います。

 

お金とか仕事とか地位とかがなければ

あんまりいい思いってできないのかなとか思っていたんですが、

そんなことはないかもってことをお伝えしたいです。

うん、そんなことはないよ。^ - ^

 

コールマンのリュック

 

今年の四月に、コールマンのリュックを買った。

 

三月に大学を卒業しているし、特に出かけるところはないけれど買った。

だから毎日のようにたくさん出番はないのだけれど、何かを背負って出かけて行きたいというときに大変べんりである。

背負えるって嬉しいね。

 

そういえば、中学生のときにみんなそれぞれの机の横の物掛けにリュック(とか)を掛けていた。

リュックを使う人が多かった。

で、コールマンのリュックを使っている人も何人かいて

「コールマン…。よく知らないけれどアウトドア用品のものなのかしら。随分質がよさそうな。(値段もしそうな)」と私は思っていた。

 

しかし、13歳の時から約10年経った2023年の四月にこうしてコールマンのリュックを手に取って手に入れてみて

特別に値段が高いとかではないんだなと思った。

 

 

じゃあ、なんで中学生の当時みんなのリュックがあんなに輝いて

「コ ー ル マ ン」

とデカデカとキラキラと見えたのか?

それは、

それぞれの持ち主のめいいっぱいの生活にいつも連れ出されて、使われて、人の目に触れてリュックは嬉しかったんだろうなと。

 

キラキラとデカデカと思うの。

お悩み解決できるひみつメモを公開⁉︎

 

ひみつは話したら秘密じゃなくなるんですけども…。

 

最近はあんまり苦悩に満ちていなくて

「人生ってすばらしい」

「世界がどんどん良くなっている気がする」とかそんなところにいる時間が長かったです。

でも、ひとつのことがきっかけで心のわだかまりに苦しんだんで

発明したメモの書き方「思考が先。現実はあと」お悩み解決シートを使ってミニクロッキー帳にお悩みを書きました。

 

「可愛い子にも悩みはあるの🎶」というわけではないですけど、穏やかしあわせ生活の

みど〜りの心地ちゃんにだってそういうときがあるんだっていうことで

メモをスキャンしてみなさんに特別にお見せしますね。

 

(画像をはてなブログに載せるのが初めてでやり方がよくわかりません。画像が細長くなって、読みにくくなっているかも知れません。

にょいーんと拡大して読んでください)

 

下 ってなっています上下2枚で繋がっています。

 

わかーりにくいと思うので 文字に起こそうかと思っていたのですけれど

なんとなくこのまま載せます。

【メモの補足】

上の画像の隠してあるところ「〇〇ちゃん」っていうのはわたしの姉です。(みど〜りの心地ちゃんには二人の姉たちがいてみど〜りの心地ちゃんは末っ子ということになります)

 

下の画像の「みちゃん」っていうのは

みど〜りの心地ちゃんの最近の自分に対する愛称です。

 

そしてそして、ひみつメモ関係なくなっちゃうじゃんっていう感じですが

 

メモに「思考が先。現実はあと」お悩み解決シートを少し書いてからあんまりさらさら書けなくて

心がズーンとなったので、家族に助けを求めてみようと思って家族にメッセージを送りました。

 

そうしたら こんな風に⇩

 

おばあちゃんの世界では親切な気遣いかも知れないなぁ

だからそれに対して「ありがとう。心配要らないから大丈夫だよ♡」ってお気遣いありがとうの返答がいいのかなぁとわかりました。

 

そしてそしてそして

わたしは、みどり(自分自身)の心地を作ろう!ということを言って生きているのですが

心細くて寂しくて辛いよってときもあるけれど

みどりの心地を作るっていうのは私にしかできないことだから とっても勇気のある 命のある生き方なんだって思います。

今は時に心細いかも知れないけれど

いつか絶対に絶対に仲間だってできるし

仲間から信頼されるような みどりの心地ちゃんになれるよってあらためて思いました。

だってそのときに、みどりの心地ちゃん自身がみどりの心地ちゃんを信頼しているんだからねっ

 

 

 

 

 

 

内なる世界が真反対になったきっかけは自分が起こしていたんだなー

すべては自分が意図したとおりになっているのかなと思って、驚いている。

 

この文を書いている現時点からは去年の

2022年の5月の末に

わたしの 世界を見る目は真反対になってしまった。

つまり、自分の内側だけ変わってしまったの。

外側はまだあんまり変わっていないの。

 

それで、この世界中の茶番劇に気づいている人たちの集まりに出会ったりもしたんだけど

「なんで気づいたんだろう」

「なんで本質に目覚めたんだろう?」疑問に思うよね。

 

つい最近気づいたのは

その前の年の2021年の秋に わたしは大規模な片づけ祭り(こんまりメソッドを参考にした片づけ)をやっていたんだ。

 

で、片づけをするために情報を集めていた中で

片づけを終えて本当の人生を生きるようになると天職(使命とか)に出会える場合があるということを聴いていた。

だからわたしは天職(いい仕事)に出会いたくて 死ぬ気で本気で片づけをした。

(学校の卒業アルバムまで捨てた。)

 

で、最近になって

「結局、片づけ前に思っていたような生活は手に入れられていないな〜」なんて思ったら

「いや?! ちゃんとしっかり本当の自分と共に生きている生活になってるし、はっきりと、この世の中に絡め取られてはいけないんだってことわかっちゃってる」

 

片づけ前もそういった考えの傾向はあったんだけれど ときにぼんやりとしてしまうのがそれまでだった

 

なんでここまで強く生きづいちゃってるんだろう自分?

って思うほど今の自分がしたたかに楽しく生きれちゃってるきっかけは

もちろん片づけだけじゃないんだけれど

 

ちゃんと自分(いのち)はやるべきことをやるべき時にやっているんだな〜と思った。

 

そしてそして、自分の内側が真反対に完全に変わってしまったために

今は外側がキツく感じるときもあるかもしれないけれど

外側だって徐々に変わっていくので

今は焦らないで楽しいことして過ごしていれば

そのうちに何のわだかまりもなく

誰かと笑えるかなって感じです🎶

(今だってYouTubeSNSを通しての心のやりとりはちらほらあります 有難いことです)

わはは